190502日記

数時間の移動の最中、PatachouのDominoを何度も何度も聴いていた。たしかに太陽はまばゆく、心はオルゴールだったといえばそう言えるけれど、流れてくるのは晴天に似つかわしくないようなかなしい音だけだった。

 

ここ数ヶ月、過去のしあわせをよく思い出す。ときには苦しみをともなって、ときには暖かな木漏れ日と一緒に!これまで薄めてTwitterに少しずつ流していた感情が、ブログではちっとも希釈されない気がする。書きながらぼくは奥歯の裏側にひとつ違和感を覚えている。何か小さな種が張り付いているみたいに。こんな表現もほとんど自傷ではある。

 

ゆるしと安心を求めるだけのぼくに、求めるより先に与えるんだと言った人がいた。全くその通りだと思い続けている。ぼくが人に与えられるものってなんだろう?詩とか短歌とかかしら、それとももっと崇高なもの?わからない。少なくとも今ぼくがもっているものをすべて捧げたとしても誰かに何かを与えることにはならない気がする。

 

満たされたかったら痛みでもつらさでも選り好みせず飲み込んだ方がいい。空っぽの菓子箱ほど虚しいものはない。とにかく摂取する。

 

一生完成しない作品の習作を書き続けているような感覚に襲われる。ときどき挑戦的な生き方を試したくなって、結局消してしまうような。

 

とっくに刈り取られた畑をいつまでも見つめている。